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「いつも見守っています」
母が書いたメモの最後の言葉は、この言葉で締めくくられていることが多い

メモを読んだ当初はちょっと気恥ずかしい感じがしたけれど
今、私はこの言葉を、大事な家族や、大切にしたい人に送りたい気持ちになる

「いつも見守っているよ」
私もこの言葉に支えられて今日も上を向いて歩き出します

孫よりわが娘

 | 2019-09-01 | 
長女が産れたとき
母は産院に毎日のように来てくれました。
私が置いた洗濯物をそそくさとまとめ、私が頼んだ買い物(アイスクリームとか♪)を冷蔵庫に手際よく入れ、新しく持ってきた洗濯物を置いて、少しの間話をしました。
肝心の長女(母にとっては孫)の顔をじっくりと見る時間もなく、また帰って行った記憶があります

長男が就職したときには
「これであなたの将来は安泰ね」と話していました。
(私が老後、経済的に困らないことを予想したのだと思います。)

母親は
まずわが子なのでしょうね・・・

私も
長女が母となった今
やはり彼女の体調を一番気にかけています。
慣れない育児で睡眠不足になり、無理をしていないか・・・
みんなの注目が赤ちゃんにいって、寂しい思いをしていないか・・・
赤ちゃんを愛おしく思う気持ちをもっともっと表したいと思っているのではないか・・・

母となっても、わが子であることに変わりはなく
いつでも気にかけ、助けになりたいと心から思っています。
自分の母と同じように・・・
「ほめてもノッてこない
「あー言えばこー言う
「おしゃべりばっかりで、なかなか勉強に取りかかれない
「私のアラ探し、痛いところを突いてくる

女の子は、思春期に限らず、まだ幼い我が子であっても
親であるこちらがムキになってしまう場面が多々あるというお話を聞きました
(私もそうだったなぁ・・・

男の子については
けっこう単純でノリやすく、「今」を生きているドリーマーとして、「あるある!」と笑い話にもなるのですが
女の子については
「その時その時で違うし、難しい」というお声を聞きます。

でも、私達母親も女の子だったのよね・・・
難しかったのかな・・・

本には、一般的なことは書いてあるけれど
我が子とのやりとりは様々・・・

だとしたら
子どもに向き合うときは、自分がどうしたいか、それはなぜなのかをしっかりと持っていないと
表面的な対応だけでは太刀打ちできないのでしょう・・・
きれい事を言うと、子どもにはすぐに見破られてしまいますものね・・



新しい所帯をもつ長女が、この連休の前半に帰省してきました

まる一日かけて、彼女の部屋の片付けを一緒にしました。
青春時代を過ごした部屋からは、懐かしいものがいっぱい出てきました

写真
書きかけのノート類
ばーばにもらったお年玉(お手紙つき!)
友達からのプレゼント
携帯
学生時代に使ったあれこれ
昔の洋服
ヒミツの何か・・


私からしてみたら、それらの一つ一つが彼女の分身でもあります

長女が
「また一人暮らしをするんだったら取っておく物もあるけれど、これからのライフスタイルが決まったから、荷物整理がしやすいな~」と言っていたことが、とても印象的でした。

そうよね・・
片付けはこれからの見通しが立つと進むものなのよね
今さらながら「ナットク!」でした


母が一番喜んだこと♪

 | 2019-04-25 | 
「母の日」という文字が、街頭のあちこちで見られるようになってきました

私は母にはいろいろなものをプレゼントした記憶があります。
母の文箱には、私の書いたメッセージカードや、プレゼントを包んでいた袋(日付も書いてある)などもたくさんありました

母が後から何回も「よかったわ~」と言っていたことがあります。
30年くらい前ですが、その時はまだ幼い長女と、赤ちゃんの長男がいて、夫のいない週末(夫は出勤)に
母に来てもらったことがありました。(親子だけだと煮詰まるので・・

近くの公園にみんなで出かけ
帰り道、お昼に立ち寄った、何でもないレストラン(ファミリーレストランも当時はあまりなく;;)で食べた
「鉄板焼き」
ジュージューと音の立つ熱々の料理が母の所に運ばれてきたこと。
これを「本当に美味しかった」と、何回も言っていました。

その当時の母でしたら
友人と都会でもっと美味しいものを食べる機会もあったでしょうに、
私は何で庶民的なレストランで食べた鉄板焼きを、いつまでも「美味しかった」と言うのか、あまりよくわかりませんでした。

でも、私も主婦となり、母となってわかったことがあります
それは
「できたて」です

母の時代は、まず、ご主人様にできたてを出して
自分は後からということも多かったのだと思います。

なので
できたてホヤホヤが運ばれてくることが
本当に嬉しかったのでしょう

母の喜ぶ顔は
いつ思い出してもいいものです